今テレビのワイドショーでもよく取り上げられているのがO-157。強烈な腹痛と下痢に襲われ、小さな子供なら死亡してしまうほどの強烈さがあるものだ。
ニュースを見ていると「過去に学校給食が原因で発生したことがある(1996年)」と紹介されていたりしますが、この1996年の学校給食で感染していた児童の1人が実は僕だw
あれから「O-157」のことについてはそこまで話題にならなかったけど、ここにきてこれだけ取り上げられていると妙に懐かしさがこみ上げる。っということで僕がO-157に感染した時の感想をここに書いておこう。
子供の頃の記憶ってあまりないけど、O-157に感染した記憶があるってことはよっぽど辛かったんだろう…
目次
O-157 感染者 感想 症状とか
そもそもO-157って何?
O157(オーイチゴーナナ)をはじめとした腸管出血性大腸菌はヒトに下痢を起こす大腸菌のひとつで、ベロ毒素を産生します。この菌はウシの大腸に住んでいて、その腸内容物に汚染された食べ物(生または加熱不十分な牛肉、内臓、サラダなど)や水、手指を介して口から感染します。日本では1996年に学校給食が原因となり大規模な食中毒が発生しました。
というものです。
ウシの大腸には必ず存在している菌で、加工の段階で必ず取り除かれるのですが、加工の過程で他の部位に付着してしまったりすることもあるらしい。今は加工技術がしっかりしているのでそこまで神経質になる必要はないと思うが…。
では僕の場合はどうだったのか?
学校にてO-157が近所の学校で発生した!と先生から情報を知る
ある日学校に通うと近所の学校でO-157が発生したと教えられる。
その時僕は「ふーん」っと思っている程度。その日も普通に給食をバクバク食って家路に着く。
発症したのはたしか日曜日
たしか発症したのは週末だった。
いつも学校も習い事もない日は、昼すぎまで寝ているのですが、この日は何か体の違和感を感じ起きてしまい、どことなく熱っぽいけど、咳や鼻水は一切出ないのでなんか不思議な感じ。
朝8時ぐらいの出来事。
起きてから10分ぐらい経ち、猛烈な腹痛に襲われる
「なんでこんな早く起きたんだ?」と思いながらぼけっとしていると、猛烈な腹痛に襲われ始めてトイレに駆け込む。
あまりの痛さから、これはただの下痢じゃないということがわかったのですが、とりあえず排便を済ませると一瞬落ち着いたので「ああ、なんだただの下痢だったのか….」とか思っていたら第二波が直撃!
またもや強烈な腹痛に襲われトイレに駆け込む。
そこから3時間ぐらいトイレにずっとこもることになる
そこからあまりの強烈な腹痛でトイレにずっとこもることになる。たしか12時ぐらいまでトイレにいた記憶がある。
さすがにトイレからずっと出てこない僕を心配した母親が「あんた大丈夫なの?」と声をかけてくれた時に思い出す。
この時は熱はないが吐き気もすごい。とにかくトイレから一歩も出ることができない。
あ!これがO-157か!!
さすがに普通の下痢じゃないということがわかり、母親と共に病院へ行くことになり、診察を受けると「O-157ですねー。」とここで発覚。あまりの痛さで休診時間だった病院に無理を言って見てもらったほど。
すぐさま点滴を受けて安静にしながら思う「ああ、なんで平日じゃないんだ?学校休めたのに。」っとかくだらないことも思う。この時熱も測ってもらったのですが、熱も出ていたらしい。何度だったかは覚えていない。
点滴を終えると体が一気に楽になる
そこから点滴をしながら安静にしているといつのまにか眠っていたらしく、目が覚めると体がスッキリしていて、腹痛にもだいぶ治っていた。顔色も良くなったねー。と言われたのも覚えてる。
次の日学校に行けるほど回復
次の日は学校に行けるほど回復したのだが、クラスメイトに感染する恐れもあるので、2日間ほど学校を休むことになる。点滴最強!w
学校を休んだ日、学級閉鎖だと教えてもらう
「おぉー学校休みやで!」っとか思い、突然の休日を楽しんでいると僕のクラスがO-157で学級閉鎖になったことが告げられる。どうやら僕だけではなく、クラスでは多くの子がO-157になっていたらしい。
とりあえず腹痛がやばい!O-157にはもうなりたくない
っということで思い出しながらO-157に感染した思い出を書いてみましたが、よっぽどの痛みだったのか割と鮮明に覚えていました。
とりあえず僕の場合は体が強かったのか、点滴だけでスパッと回復してしまいましたが、体が弱っていたりもともと体の弱い子とかはかなり長引くみたいです。その後1週間ぐらい学校を休んだ女子もいましたし。相当なものだった。
もうO-157にはなりたくな。の一言に尽きる。
もし、お子さんがトイレからずっと出てこなかったら親御さん一声かけてあげて!
最後まで読んでいただきありがとうございました。